あなたが気がつかないだけで神様もゲイもいつもあなたのそばにいる

日本で初めてゲイであることを公表して牧師になった平良愛香さんの著書。

前半はゲイの牧師になるまでの経緯、後半は性と差別に関する特別講義で構成されている。

 

ところどころユーモアを交え易しい文体で書かれており、平良さんの温かい人柄が伝わってくる本。

 

この本を読んで思ったのは、ゲイである自分が知らず知らずのうちに他の人を差別してしまう可能性があるということ。

もちろん、ゲイであることと人を差別しないということに直接の関係はないのだが、自分自身は人に対して差別的な感情を持たないように意識してきたように思う。

 

しかし、自身の生活を振り返ると、実際は日常生活の中で自分の気に入らない行動をしている女性をみて「だから女は、、、」と思うこともある。

 

平良さんによると差別というのは「そのグループを「こういうもの」と決めつけ、しかも優劣をつけること」であるから、その意味では自分も日常的に差別を行なっていることになる。それは人の性として仕方がないかもしれない。しかし、大切なのは「自分が差別する側になっている」ということを自覚することだと平良さんは言う。そして、その通りだと思う。

 

この部分を読んで、村上春樹の『ノルウェイの森』の「私たちがまともな点は」「 自分たちがまともじゃないってわかっていることよね」という台詞を思い出した。

 

人は誰もが自分は普通だ、まともだと思いながら日々を過ごしがちだ。それは自分という存在を確かにするために自然なことかもしれない。自分は普通だ、と思うことは日々の生活を支障なく送っていく上での原動力となる。しかし、自分もある視点から異質な存在になるという想像力をもつことは大切ではないか。

 

もう一つ、印象に残ったのは、ある教会が「ここの教会には同性愛者はいません。来たら前向きに考えたいと考えています。」と言っていたエピソード。協会に同性愛者がいないのではなくて、当事者がただ秘密にしているか、同性愛者に対してオープンな雰囲気で同性愛者が来ないだけなのに「来たら考える」というのは冷たい態度ではないか。

 

このことは、自分自身の仕事のことにも言えるのではないかと思う。社会にどのような悩みや難しさを抱えている人がいるかを知り、その人たちをシャットアウトしないような仕組みづくりを考えていくことが大事だと思う。

 

牧師だからと言ってキリスト教を無批判に受け入れる、信じるのではなく、批判的に考え、発展途中の宗教であると言っていることにもとても好感がもてた。

 

 

あなたが気づかないだけで神様もゲイもいつもあなたのそばにいる

あなたが気づかないだけで神様もゲイもいつもあなたのそばにいる